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冨田せなの出身中学や高校は?アルバイトしながらの競技生活とは?

スポーツ

2022年2月に開催された北京オリンピックにて、スノーボード・女子ハーフパイプで銅メダルを獲得した冨田せなさん(22歳)。

妹の冨田るきさんも同じ種目で北京オリンピックに出場され、お互い励まし合いながら競技に臨んだという仲良し姉妹でも有名です。

オリンピック女子ハーフパイプで日本人初のメダリストとなった冨田せなさんの出身中学と高校、大学について紹介します。

そして、アルバイトをしながらアスリートとして活躍されているというのは本当なのでしょうか?

また、2019年に経験した脳挫傷と北京オリンピックの繋がりについても合わせて調べてみました!

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冨田せなの出身中学や高校は?

出身中学

冨田せなさんの出身中学は、妙高私立妙高中学校です。

出身が新潟県妙高市なので、地元の中学校に通っていたということになりますね。

妙高市は、冬になると国内外問わずスキー客が集まる地域で、スキー場や温泉など自然豊かな観光地となっています。

冨田せなさんの両親は共に愛知県出身ですが、もともとスノーボード好きだった父親が妙高市にあるスキー場完備のリゾートホテルに就職され、夫婦でスノーボードを満喫されていたそう。

そして、そのまま妙高市に在住され、冨田せなさんもその影響で3歳からスノーボードを始められました。

そして、中学校1年生の時に日本スノーボード協会公認のプロ資格を取得されています。

数々の大会で好成績を収めていないと取得できない資格なので、中学1年生での取得は、簡単なことではありません。

スノーボード好きの両親と妙高市のスノーボードに適した環境があったからこそ、楽しくレベルアップされてきたのかもしれませんね!

出身高校

冨田せなさんの出身高校は、開志国際高等学校です。

開志国際高等学校は、新潟県胎内市にある男女共学の私立高校で、冨田せなさんはアスリートコースに在籍していました。

寮が完備され、地元の医療機関とも連携し身体のサポートを行ったり、管理栄養士が種目ごとにカロリー計算して作る食事を提供されるなど、アスリートを育成するための環境が整えられています。

開志国際高等学校の公式YouTubeで、施設紹介の動画がアップされていました。

寮の部屋もとても綺麗で、アスリートとして高みを目指す仲間たちとの生活は、刺激があってとても楽しそうですね!

また、スノーボード部があるので、冨田せなさんも入部して練習を重ねてきました。

妹の冨田るきさん、北京オリンピック男子ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢さん、弟の平野海祝さん開志国際高等学校アスリートコースを卒業されています。

冨田せなさんは、3年生の時に2018年平昌オリンピックに出場され8位に入

開志国際高等学校での徹底したサポートがあったからこそ、結果に繋げることができたんですね。

 
 
 
 
 
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開志国際高等学校でスノーボード漬けの高校生活を送った冨田せなさんは、卒業後、大学に進学されたのでしょうか?

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冨田せなは大学に進学した?

冨田せなさんは、大学に進学していません。

開志国際高等学校卒業後は、全日本ウィンタースポーツ専門学校に進学されています。

全日本ウィンタースポーツ専門学校は、新潟県妙高市にある私立の専修学校で、冨田せなさんは、2年制のスノーボード専攻科に在籍していました。

全日本ウィンタースポーツ専門学校のスノーボード専攻科のカリキュラムはこのようになっています。

1年次:スノーボードに関する基本的な知識・技術の習得、基礎体力向上を目指します。
2年次:競技実績の向上を目指し、各種大会参戦に積極的に挑戦をしていきます。

合わせて、業界関係者の講話や演習、パソコン、実用英語などの授業を行い、業界理解を深め、ビジネススキルを身につけ、幅広く活躍できる即戦力を身につけます。

【引用】jwsc-snow.com/course_snowboard

学生寮もあるようですが、全日本ウィンタースポーツ専門学校は冨田せなさんの実家の隣にあるので、実家から通われていたようです。

冨田せなさんは、北京オリンピックを目指して全日本ウィンタースポーツ専門学校に入学され、入学式の際は、「夢や希望を実現するため、技術の習得に励みたい」と語っていました。

新入生を代表して冨田さんは「在学期間、常に向上心を忘れず、それぞれが目指す希望を実現させるために、より高度な知識と技術の習得に励む」と抱負を述べた。

【引用】joetsu.ne.jp/41461

2年制の学校ですから、既に卒業されていて、卒業後は海外へ遠征に行くなどプロとして活躍されています。

そんなプロのスノーボーダーとして活躍を続けている冨田せなさんですが、実は専門学校に入学されてからアルバイトを始められていたというのです!

現在もプロ活動とアルバイトを両立されているという冨田せなさんは、どのようなアルバイトをされているのでしょうか?

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冨田せながしていたアルバイトは?

冨田せなさんがしていたアルバイトは、カフェ店員さんです!

スノーボードのシーズンは冬ですから、遠征の少ない4〜9月に妙高市のスキーリゾートのカフェでコーヒーを提供されているそう。

また、ゴルフ場でもアルバイトをされているそうで、1週間続けて働くこともあるとのこと。

世界で活躍される程のスノーボーダーである冨田せなさんは、何故アルバイトをされているのでしょうか?

冨田せながアルバイトをする理由とは?

冨田せなさんがアルバイトをするのは、両親の経済的負担を減らすためです。

プロの資格を取得した頃、ナショナルチームに選ばれるようになり、活動の幅も広くなりました。

その時、父親はナショナルチームを取り仕切る全日本スキー連盟から、「活動費として1人300〜400万かかることもある」と言われたそうです。

父親の冨田達也さんが、当時の事をお話されている記事がありました。

「本人たちのやる気があったから、それを親が潰しちゃいけない。娘たちには『お父さんもお母さんもなんとか頑張るから、ふたりは競技でやれるとこまで頑張れ』と話した。だから借金はかさむ一方なんだ(笑)。嫁さんと一緒に、ああしよう、こうしよう、と考えながら、自転車操業状態。正直、お金の面が一番苦労しているんだけど、どれぐらいかかっているかふたりには伝えている。借金があることも知っているよ(笑)」

【引用bunshun.jp/articles/-/51985

競技団体の強化指定選手になると、補助金も受けられるようになったそうですが、「両親に少しでもお金を払いたい」とアルバイトを始めることにしたそうです。

妹の冨田るきさんも牛丼屋で働き、姉妹共に給料の一部を両親へ渡しているんだとか。

借金をしてまで娘二人の夢をサポートし続けていたとは思いませんでした。

確かに、娘二人分の活動費を考えると、簡単に計算しても諸々含め1年で1千万円近い金額になってしまいますから、一般家庭の給料ではとてもまかないきれませんよね。

冨田せなさんの夢でもあった、北京オリンピックでの銅メダルは、家族全員で獲ったメダルだったんですね!

そんな両親の愛情を受けて取り組んでいたスノーボードですが、一度大きな怪我を経験されています。

貴重なワンシーズンを棒に振るったという怪我とは、何だったのでしょうか?

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冨田せなが脳挫傷で大怪我?

冨田せなさんは、2019年12月に開催されたワールドカップの公開練習で転倒し、脳挫傷を負いました。

その会場というのが、北京オリンピックと同じ会場だというのです!

当時、転倒した直後は「異常なし」と診断されましたが、帰国後、家族と話をしている時に意識を失ったそうです。

精密検査の結果「びまん性軸索損傷」という病名がつきました。

びまん性軸索損傷とは、頭部外傷後、意識障害を呈しているにもかかわらず、頭部CT、MRIで明らかな血腫、脳挫傷を認めない病態です。強い外力で脳に回転力が生じた場合、脳深部は脳表部よりも遅れて回転するため、脳がねじれます。その結果、軸索が強く引っ張られ、広範囲に断裂し、機能を失うと考えられています。

【引用med.osaka-cu.ac.jp/…/a-bimanseijikusakusonsho.shtml

冨田せなさんは、脳内に複数の出血があり、3ヶ月の絶対安静

効果的な治療法のない病気なので、二次的脳損傷を予防しつつ、脳の回復を待つしかないそうです。

シーズン始めの12月に起こった事故ですから、このシーズン中の活動は一切できませんよね。

そして、2022年北京オリンピックで同じ会場に立つ訳ですが、やはり3年前の恐怖が蘇ります。

今回の五輪はその時と同じ会場。「思っていなくても変に思い出しちゃったりとかして。それがよぎったりもあるので怖かった」と少し顔をゆがませた。

【引用news.yahoo.co.jp/…/1c18822004003bb8e87c9e1637577fb7f26435f9

その恐怖を乗り越え、銅メダルを手にした冨田せなさん。

恐怖心を感じさせない力強く堂々とした演技に、誰もが勇気と感動をもらいました!

まとめ

以上、冨田せなさんの出身中学と高校と専門学校、競技生活と両立したアルバイト、そして突如見舞われた大怪我について、紹介させて頂きました。

冨田せなさんのこれまでのエピソードを振り返ると、北京オリンピックで銅メダルを獲得された時に魅せた、その清々しい笑顔からは想像もできない程のドラマがありました。

様々な困難も、両親の愛があったからこそ、常に前を見て進んでいけたのかもしれません。

さらに高みを目指していく冨田せなさん、これからの活動にも目が離せません!

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